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インペリアルポーフィリー | アイト図鑑

インペリアルポーフィリー

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インペリアルポーフィリー

Imperial porphyry

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インペリアルポーフィリー
モチーフ 班岩
和名 班岩
英名 Porphyry, Imperial porphyry
分類火成岩
硬度 ---
組式---
産地エジプト
褐色, 赤, 白

石の説明

「斑岩」とは、石基(微細な結晶もしくは非晶質の石英質の部分)の名に大きくあらめな他の鉱物の結晶が見られる火成岩のことです。
「インペリアルポーフィリー」は、淡いワインレッド色から紫色の石基に白い斑状模様を持った美しい「斑岩」です。この岩石はすでに枯渇してしまい、新たに産出することはありませんが、産地は現在のエジプトのゲベル・ドクハーン山脈(Gebel dokhan 山脈)で産出しました。
ローマ帝国の歴史と深く関わっている石材でもあり、非常に興味深いストーリーを持っています。
なぜか、インペリアルポーフィリーについて言及された日本語の資料がまったくどころかひとつもなかったので、自分なりに調べて書きました。

「インペリアルポーフィリー」の歴史

古代ローマでの利用

「インペリアルポーフィリー」は紀元前30年頃からローマ帝国で皇帝専用の石材として使われていました。その美しい色合いと硬度、そして希少性から、皇帝やその家族の宮殿、記念碑、墓所に使用されました。
当時、紫色は『権力』と『神聖さ』の象徴とされ、この石材は特別な価値を持ちました。また、採掘は現在のエジプト、ゲベル・ドクハーン山脈で行われましたが、その調達には多大な労力がかかりました。

キリスト教時代と中世への影響

ローマ帝国がキリスト教を国教とした後、「インペリアルポーフィリー」はキリストの神聖さや殉教者の血を象徴する石材として、教会や聖堂の装飾に使用され、非常に価値が高い石材となりました。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂などでは、古代のポーフィリーが再利用され、その価値が中世を通じて保たれました。

15世紀、オスマン帝国に敗北・採掘終了

15世紀のオスマン・東ローマ戦争で、東ローマ帝国(当時はビザンツ帝国)がオスマン帝国に敗北しました。そして、エジプトがオスマン帝国の支配下に入ると、ゲベル・ドクハーンでの採掘が終わりを迎えました。これにより、ローマの後継者たちは新たな石材の入手手段を失い、国内に残された「インペリアルポーフィリー」を古代の遺構から取り外すなどして、再利用するしかなくなりました。

キャラプロフィール

インペリアルポーフィリー
種族---
高さ---